第5回 「地域づくり まちづくり-私たちを地域にひらく-」

2018.7.13

第5回 「地域づくり まちづくり-私たちを地域にひらく-」

第5回 「地域づくり まちづくり-私たちを地域にひらく-」

『「わたしのこと」から「まちのこと」をつくる』

 

著者:齊藤 志野歩(さいとうしのぶ)氏 プロフィール

(株)エヌキューテンゴ CEO

 

 慶応義塾大学総合政策学部卒業後、不動産投資ベンチャーで不動産ファンド運営、住宅開発、商業施設開発等に従事。長男の出産をきっかけに、NPO法人での活動も行いながら、地域とつながりのある暮らしや不動産のあり方を模索。不動産投資会社を退職し、株式会社エヌキューテンゴの代表取締役となる。ひとの暮らしや、その節目の多くに立ち会う不動産業者が、人と物件をマッチングすることだけでなく、人と人、人とまちを結ぶことに、もっと積極的になるべきと考え、他の創業メンバーと共に「まち暮らし不動産」を立ち上げる。

 

 

 

はじめに

 前回のコラムでは、「場づくり・場所づくり」の視点を手掛かりに、事業に関わる人たちの「よいつながりかた」を考えました。1)ルール 2)ロール 3)ツールを具体的に設計しながら、納得感のある「つながりかた」を考えていくことが、「場」の可能性につながっていくことをお伝えしました。

 今回は、「地域」や「まち」を「自分」と地続きに捉え、「わたしのこと」から「まちのこと」をつくることを考えます。

 

私の「わたしのこと」

 実は、第1回から第4回までのコラムで度々とりあげたプロジェクト「okatteにしおぎ」には、先立ったもう1つのプロジェクトがあります。それは当初、私個人の小さな違和感からスタートしました。

 okatteにしおぎがオープンする数年前のことです。私は、まち暮らし不動産を創業する前、不動産投資会社に勤めていて、営業、企画、開発、ファンドの運用などに携わり、かなり多忙な日々を過ごしていました。プロジェクトのクローズ直前は夜中まで業務が及ぶこともしばしばでしたが、さまざまな分野を経験できたことはありがたく、それなりにやりがいを感じていました。

 しかし、長男が産まれ育児休業後に復職した私を待っていたのは、さらなる怒涛のような日々でした。夫は、地方出張で平日は家を空けていたので、いわゆる「ワンオペ育児」。特に職場から子どもを保育園に迎えに行き、家に帰ってご飯を食べさせ、寝かしつけるまでの時間は思うように物事は進まず、子どもと2人の食事の時間は、なんだか腑に落ちないのです。子どもとの毎日は楽しいけれど、なぜ「家」にいて、こんなに社会と隔絶された感覚があるのか。私が仕事として扱っている「家(不動産)」は、こんなものだったのだろうか。私のつくっていたものは、何かが足りていないんじゃないか、と。その頃から私は、昼間に扱っているような「不動産」とは別の形があるはずだと考え、勉強会やNPOの活動に参加するようになりました。会社員としての勤務が終わった後、保育園から子どもと一緒に、もう一度電車に乗って打合せにいくこともしばしばでした。まさか、この頃出会った仲間と数年後、まち暮らし不動産を創業することになろうとは、考えてもいませんでしたが。

 そのなかで、私は1つのアイディアに行き着きます。「私の晩ご飯を、まちに持ち出してみよう」と。同じ時間に、他のお母さんも同じような思いをしているかもしれない。1人で食べている人だっているはずだ。家族だってバラバラに食べていることだってある。「家」を単位にしなくても、食卓はつくれるのではないか。社会と隔絶されているような気分を味わうぐらいなら、「食卓」自体をまちに持ち出してしまえばいいのでは、と。背中を押してくれたのは、子どもを連れて通っていた勉強会やNPOの仲間たちでした。

 そして、まち暮らし不動産の創業とほぼ同じ頃、「おたがいさま食堂」がスタートしました。月1回、私の自宅近くのレンタルキッチンを借りて、さまざまな人が「一緒にご飯をつくって、一緒に食べる」イベントでした。作る人=食べる人なので「おたがいさま」というわけです。最初は私の知人が中心でしたが、口コミやメディアでの露出もあって、次第に参加が増えていきました。もちろん実際は、思いついてパッとできたわけではなく、紆余曲折あり、さまざまな工夫もしながら実現したわけですが、私が自分のこととして感じていた「違和感」を、まちの人たちと少しずつ共有してきた結果でした。「わたしのこと」は、いつのまにか「わたしたちのこと」になり、参加してくださる方それぞれのなかに、おたがいさま食堂の意味が見出されていきました。

 この後、2015年にokatteにしおぎがスタートできたのは、オーナーさんが「おたがいさま食堂」というプロジェクトを見てくださり、このような場の可能性を感じて下さったことも、後押しのひとつになったと思います。

( ※ 以下、画像をクリックすると別ウィンドウで開きます。)

 

 

いまここにいる私たちに、新しいルールをつくる

 おたがいさま食堂は、私1人の違和感からスタートしました。私のことを助けてほしいとも、かわいそうと思ってもらう必要もありませんでした。私は私のために、「いまと違うもの」「いまと違うこと」をつくりたいだけだったのです。同じように、おたがいさま食堂に参加してくれた人も、それぞれの「わたしのこと」を想起していました。境遇や立場はそれぞれ違い、持っている違和感も違います。その前提からスタートしたからこそ、「新しいわたしたち」という関係を、おたがいさま食堂という場を通じてつくることができたのだと思います。何よりも、実は私は料理が得意と思っていないので、ご飯を作って食べるイベントが立ち上がっていくプロセスでも、多くの人の意見を聞くことができました。自分が得意なことをしようとすると、周りにマイルールを押し付けがちです。

 「今あるルールに人が合わせる」のは、「これまでの共生」、「いまここにいる私たちに、新しいルールをつくる」のが、これからの共生でしたね。(第3回のコラム参照)

 

「私」と「公」、そして「公共」

 「わたしのこと」が「わたしたちのこと」になり、「まちのこと」につながっていくと言っても、「私(わたくし)」と、「まちのこと」、すなわち「公(おおやけ)」のことは、対立的に語られることが多いです。公と私は切り離しているほうがよく、「公私混同」はNGで、「滅私奉公」のように「私」を殺して「公」に尽くす規範が正当化されがちです。しかし、このような公私二元論ではなく、「公」と「私」の間に「公共」という領域を挟んで「公」-「公共」-「私」の三分法として捉えたほうが、「公」と「私」のバランスは取りやすくなります。「公共」すなわち「わたしたち」の領域が、「公」や「私」の肥大化を防ぎ、刺激をあたえ、適切な運用を助けるのです。

 ですから、「まちのこと」を一足飛びにつくるのではなく、「わたし」からはじまる「わたしたちのこと」をつくっていく。これが前回コラムの「場づくり」に通じます。そのうえで、地域・まち・社会に、「わたしたちをひらいていく」。そのプロセスを経験する個人を支えていくための制度や社会資本、カルチャー自体を「公共財」としていくことが大切です。これは第2回コラムにある「公共財(みんなのもの)」と「準公共財(わたしたちのもの)」をスイッチしていくプロセスにも通じます。

 

「わたしたちを地域にひらく」

 前回のコラムに引き続き、大事なことなのでもう一度言います。職員の皆さんがいきいきと働き、地域の一員として生きる(活きる)ことが、地続きに「地域づくり・まちづくり」につながっているのです。

 暮らしや仕事の小さな違和感を、地域に暮らす人と共有しながら、新しいルールやコミュニティをつくっていくことを、支え、応援してあげてください。そのプロセスから、個人と社会をつなぐ信頼関係がうまれます。

 そのプロセスを通じて「結果として」立ち上がってくるものは、「◯◯祭り」「◯◯マルシェ」「◯◯食堂」などのイベントや施設、高齢者のみまもり活動、商店街の歳末福引大会、地域センターの建替工事、行政の道路計画、地域ブランド商品の開発・・・(これらは第2回コラムで冒頭に挙げた例です。)かもしれません。これらはむしろ結果というより副産物です。まわりからは副産物しか見えないので、「まちづくり」という言葉は多様で曖昧になります。でも、他所でできた副産物を真似しても、主産物、すなわち公共財という資産は育ちませんね。それは投資ではなく浪費です。副産物だけを売りに来る地域なんとかコンサルやイベント代理店も多いので注意が必要です。

 

 最後に、読者の皆さまよりお寄せいただいたご質問にお答えしようと思います。

 

【ご質問①】 

 つながりかたについて。「良いつながりかた」に主眼を置くなかでの齋藤さんの「苦手」なことは何ですか?

【回 答①】

 ありがとうございます。私が苦手なことは、「ルールの明文化の度合いを決めること」です。

 前回コラムで紹介した「ルール・ロール・ツール」のルールについては、どのレベルまで明文化するかという問題が常に付きまといます。基本原則だけを定め、あとはケースごとに対応していく方針とするのか、逆に想定されるケースや条件を細かく記載していくのか。

 前者はハイコンテクストな、いわば日本的な行間を読む文化で、後者は欧米的なローコンテクストな文化です。okatteにしおぎは、前者の文化スタンスを取っています。しかし、ハイコンテクストな文化は解釈の余地があり、自由度が高い代わりに「暗黙のルール」も産んでしまいますし、「相手の意図を察する」ことが求められることで、居づらく感じる人もいます。コミュニケーションが苦手と感じている人ほど、決まりごとがないのが不安になることが多いようです。現場によっては厳密なルール運用をしなければ危険を伴うことも少なくありません。

 「ルールのルール」は、本来、個人の好みということではなく「この“場”が、どちらを選択するか」なのですが、知らず知らずのうちに、暗黙のルールが増えてしまったり、細かいルールをつくりすぎてしまったりする人がでてきます。私はどちらかというと、ルールが少ないほうが「個人の好み」なものですから、無意識に進めてしまわないように、ルールづくりが得意な人とチームを組むようにしています。

 

【ご質問②】 

 第3回コラムの「3つの誤解」を読み、なるほど!と思いました。自分自身誤解してしまっていました。
 さて、まちづくりにおいて必要なものは、「おたがいさま」「明日は我が身」の精神ではないかと考えますが、いかがでしょうか?今の時代、他人と関わりを持たなくても生きていけると誤解しているように思います。年を重ねれば、病気になったら、障がいを負ったら、他人と関わらずに生きていくことはできないと思います。そのためにも「おたがいさま」「明日は我が身」という気持ちが重要だと思いますが、このことについて、アドバイスをいただければ幸いです。

【回 答②】

 ありがとうございます。ほんとうに、その通りだと思います。他人(血縁関係や共通項の有無によらないので、「他者」というのが適切かもしれません。)と相互の関わりがなく暮らすのはほとんど不可能です。が、その「関わりかた」をチューニングしながら、自分の生き方をつくっていく経験が無い場合は、煩わしさしか感じられません。

 このようなことを「気持ち」や「精神」というところから一歩進んで、具体的な「関係性づくり」に進めていくには、やはり体験をともなった気づき・学びが必要かなと思います。いろいろな立場の人がいることに気づいて「ハッとする」機会です。

 たとえば、私が体験したワークショップで「暗闇合コン」というのがありました。真っ暗な部屋で合コンするのです。相手の顔も背格好もわからない、声や反応の仕方をたよりに、なんとかコミュニケーションをするのです。参加者が「これじゃ合コンなんて無理だよ!」と思い始めた頃、照明を点けます。参加者はそこで初めて、その合コン参加者のなかに目の見えない人が混ざっていたことを知るのです。自分たちが「無理だ!」と思う状況で、むしろ自分たちよりも多くの情報を感じとる彼・彼女らに感じるのは、むしろ「驚き」と「尊敬」でした。

 このようなおたがいの違いを驚きや新鮮さをもって発見しあっていくことが、具体的な関わり合いをつくっていくのではないでしょうか。「かわいそうだから助ける」ということではなく、フラットな「おたがいさま」な関係につながるのかと思います。カジュアルなネーミングをしつつ、大事な本質に気づくチャンスをつくるワークショップは有効だと思います。もちろん、日々のなかで自然に経験できるのがベストです。そのチャンスを逃さないようにするのが、私たちの仕事でもあります。

 

 さて、昨秋から続いてきたこのコラム。次回で最終回となります。みなさんのイメージしていた「まちづくり」と、だいぶ印象が違ったかもしれません。しかし、毎回お寄せいただいたご質問も励まされ、なんとか第5回まできました。最後までぜひ、よろしくお願いいたします。

 

 引き続き、気になること、不明なことなど、どしどし質問をお寄せください!

 

ご質問宛先

全国社会福祉法人経営青年会 事務局

E―mail:zenkoku-seinen@shakyo.or.jp

FAX:03-3581-7928

 

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第1回・第2回・第3回・第4回コラムは、以下よりご覧いただけます。

第1回 「地域づくり まちづくり -私たちを地域にひらく-」

第2回 「地域づくり まちづくり -私たちを地域にひらく-」

第3回 「地域づくり まちづくり-私たちを地域にひらく-」

第4回 「地域づくり まちづくり-私たちを地域にひらく-」

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